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工房が移転しました。「詳細はこちらへ記載しております」


Information

2015年2月 
 ◆佐賀市柳町 旧森永家居宅/南蔵へ移転しました



はじまりのものがたり

 “有明干拓地の木綿”と“ユーラシア大陸の絨毯”が出会い、300年間伝え続けられた「鍋島緞通」。 その始まりは江戸、元禄時代にさかのぼります。
 肥前国佐賀郡扇町。そこで農業を営む、古賀清右衛門という男がおりました。
彼の使用人の中に、かつて外国に漂着して敷物の織り方を習ったという者がおり、清右衛門は、試しに彼に織らせてみることにしました。 すると何ともこれが美しく、その美しさに心奪われた清右衛門は、自ら彼に学び、その技術を習得します。
その後、十二軒に織り方を伝授したと云われています。
 佐賀藩三代藩主・鍋島綱茂公もまた、この敷物の美しさに魅せられた一人であったのです。


鍋島緞通の歴史

 鍋島緞通の美しさに魅せらた佐賀藩三代藩主・鍋島綱茂公は、古賀清右衛門に扶持米を賜り家業として技術を伝えさせ、幕府将軍家への献上品とし、民間への売買を禁じました。そのため、当時のものは世間には多くは残っていません。
 幕末の記録「嘉永七年(1854年)天佑寺町竃帳」での記述から、鍋島藩のなかに「毛氈方」と呼ばれた緞通の製造部門があったのではと推察されます。公方(将軍)・大納言(将軍の継嗣)各10枚、両御老中・両若御年寄・両御側衆・京都御所司代に各5枚を毎年献上したと記録にあります。

 鍋島緞通の素材は木綿です。木綿は江戸時代に日本に入り、またたく間に日本中に広まった新しい織物の素材でした。木綿は冬でも暖かく、保温性に優れ、丈夫で比較的容易に染色ができることなどから、綿の栽培は全国に広がりました。
 江戸前期から鍋島藩は、干拓地として次々と埋め立てを進めていました。木綿を植えることにより干拓地の土壌から塩分を抜き、水田化を進めるための中和剤の役目がありました。そこで栽培された綿の品質が良かった為、藩御用の鍋島緞通に採用されることとなったのです。