鍋島緞通の美しさに魅せらた佐賀藩三代藩主・鍋島綱茂公は、古賀清右衛門に扶持米を賜り家業として技術を伝えさせ、幕府将軍家への献上品とし、民間への売買を禁じました。そのため、当時のものは世間には多くは残っていません。
幕末の記録「嘉永七年(1854年)天佑寺町竃帳」での記述から、鍋島藩のなかに「毛氈方」と呼ばれた緞通の製造部門があったのではと推察されます。公方(将軍)・大納言(将軍の継嗣)各10枚、両御老中・両若御年寄・両御側衆・京都御所司代に各5枚を毎年献上したと記録にあります。
鍋島緞通の素材である木綿は江戸時代に日本に入り、またたく間に日本中に広まった新しい織物の素材でした。木綿は冬でも暖かく、保温性に優れ、丈夫で比較的容易に染色ができることなどから、綿の栽培は全国に広がりました。
江戸前期から鍋島藩は、干拓地として次々と埋め立てを進めていました。木綿を植えることにより干拓地の土壌から塩分を抜き、水田化を進めるための中和剤の役目がありました。そこで栽培された綿の品質が良かった為、藩御用の鍋島緞通に採用されることとなったのです。
経糸を張るところから最後の仕上げまで、すべての工程を一人の織り手が責任を持って織り上げます。
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