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鍋島緞通について

about Dantsu

はじまりのものがたり

“有明干拓地の木綿”と“ユーラシア大陸の絨毯”が出会い、300年間伝え続けられた「鍋島緞通」。その始まりは江戸、元禄時代にさかのぼります。
肥前国佐賀郡扇町。そこで農業を営む、古賀清右衛門という男がおりました。彼の使用人の中に、かつて外国に漂着して敷物の織り方を習ったという者がおり、清右衛門は、試しに彼に織らせてみることにしました。すると何ともこれが美しく、その美しさに心奪われた清右衛門は、自ら彼に学び、その技術を習得します。その後、十二軒に織り方を伝授したと云われています。
佐賀藩三代藩主・鍋島綱茂公もまた、この敷物の美しさに魅せられた一人であったのです。

鍋島緞通の美しさに魅せらた佐賀藩三代藩主・鍋島綱茂公は、古賀清右衛門に扶持米を賜り家業として技術を伝えさせ、幕府将軍家への献上品とし、民間への売買を禁じました。そのため、当時のものは世間には多くは残っていません。

幕末の記録「嘉永七年(1854年)天佑寺町竃帳」での記述から、鍋島藩のなかに「毛氈方」と呼ばれた緞通の製造部門があったのではと推察されます。公方(将軍)・大納言(将軍の継嗣)各10枚、両御老中・両若御年寄・両御側衆・京都御所司代に各5枚を毎年献上したと記録にあります。

鍋島緞通の素材である木綿は江戸時代に日本に入り、またたく間に日本中に広まった新しい織物の素材でした。木綿は冬でも暖かく、保温性に優れ、丈夫で比較的容易に染色ができることなどから、綿の栽培は全国に広がりました。

江戸前期から鍋島藩は、干拓地として次々と埋め立てを進めていました。木綿を植えることにより干拓地の土壌から塩分を抜き、水田化を進めるための中和剤の役目がありました。そこで栽培された綿の品質が良かった為、藩御用の鍋島緞通に採用されることとなったのです。

 

製作工程

経糸を張るところから最後の仕上げまで、すべての工程を一人の織り手が責任を持って織り上げます。
時間をかけて丁寧に、全工程を手作業で行うため、ご注文からお届けまで3ヶ月程度頂戴いたします。

1.図案の考案と作成

イメージしたデザインを、製作サイズの目数の方眼に落とし込んでいきます。

2.経糸張り

経糸を一本一本、織り付け棒に結んでは切ってを繰り返し、織機に張っていきます。

3.織り準備

交互に経糸を拾いあぜ棒を括り付ける作業など、織る際に必要な様々な準備をします。

4-1.結び

ペルシャ結びとも呼ばれる絡め方で、一目一目結んでは包丁で切る作業を繰り返します。

4-2.打ち込み

締め金という道具で、山なりに通した緯糸(ぬきいと)を力強く打ち込んでいきます。

4-3.切り揃え

一段ずつ鋏で、織り込んだ糸を規定の長さに切り揃えます。

5.仕上げ

表だけでなく、裏側も丁寧に確認し、一目一目つぶを整えていきます。片房は経糸を結んで作ります。

6.ラベル付け

製造番号の入った刺繍ラベルを手縫いで取り付け、ようやく完成となります。